読谷村・やちむんの里yachimun
古くて新しいテーマパーク!? 読谷村・やちむんの里に行ってみよう!
多くの人が沖縄を訪れる理由は、南国の温暖な気候と青く澄んだ海と空にあるでしょう。
沖縄の魅力はそれだけではなく、たくさんあることと思います。
その中でも、陶芸という文化が、沖縄にはあります。
手作りの器を好む人は、それを購入する目的だけで、沖縄を訪れることがあるようです。
そのような魅力を持つ焼き物、いわゆる“やちむん”。
今回は、読谷村・座喜味にある陶芸村「やちむんの里」を紹介させていただきます。
「焼き物の器を、自分で選んで購入した経験って、ありますか?」
ある人にとって当然のことでも、別の人にとっては意外なことって、身近に良くあるものです。
食器を買う目的で、わざわざ遠くへ出向くなんてこと、特に男性にはあまり機会の無いことかもしれません。
しかしやってみると、これはとても面白くて意味深いことなのです。
そんな一歩を踏み出すのに最適なのが、読谷村にある「やちむんの里」なのかもしれません。
ここは19を数える工房が連なって、集落のようになっています。 実際に焼き物を作る現場であり、ショールームであり、その器でお茶することのできるカフェもある、一種のテーマパーク的な特殊な空間となっています。
各工房はそれぞれの敷地を持っていて、それぞれの名をかかげていますが、やり方は一様ではありません。
バザーのように軒先に器を並べているところもあれば、「ここ、入っていいの?」と思うようなところもあります。
そうかと思うと、北窯売店や読谷山焼共同売店といった、しっかりとしたお店もあるのです。
この辺りのゆるさに沖縄のチャンプル文化を感じてしまい、楽しくなってきます。
「やちむんの伝統は、陶工の熱意にあり?」
沖縄のやちむんの歴史は、1600年代後半の琉球王国時代までさかのぼります。
当時、外国との交易で陶磁器がたくさん運ばれたことで、その技術も流入しました。
1670年頃に焼かれたものが読谷村・喜名から発掘され、喜名焼と呼ばれています。
それは、その後途絶えてしまいます。
1682年に琉球王府は、那覇の湧田に点在する窯元を、首里城下に集めさせました。
それが、壷屋焼と呼ばれるものです。
そして約300年後、1972年に巨匠・金城次郎氏が壷屋から読谷村・座喜味に窯を移します。
つづいて1980年、同じ場所に別の陶工4名が共同で一つの登り窯を作り上げ、窯出しに至ります。
その焼き物を読谷山焼(ゆんたんざやき)と銘打ち、やちむんの里が始まりました。
そこは、喜名焼の喜名のすぐ隣の部落だったことは、伝統の成し得る妙なのでしょうか?
やちむんの里は、目に見えない威光を発しているのでしょう。
現在では、村内各所に50以上の窯元を引き寄せているのです。
その光は、陶工の熱意に秘められているのではないかと思います。
「見て、触って、陶工の息吹感じる “やちむん” を、」
やちむんの里を歩いていると、眠っていた芸術的な部分が目覚めていくように感じました。
クラフトからアートへの人間開花的な感覚が、その空間には沁み込んでいるのでしょう。
やちむんの里では、そこで丹念に作り上げられた作品を、手に取って見ることが出来ます。
言葉では無く直感で、日々の生活で使う器を探す感覚は、とても楽しい経験になることと思います。
やちむんの里の雰囲気を楽しみながら歩くだけでも刺激的な体験ですが、是非売店の中へ入って、その器をご覧いただけたらと思います。
いくつかの工房でいくつかの器を手に入れたところ、家に帰って広げてみれば、あなたの色になっていることでしょう。